Feb 07, 2009
円形脱毛症と免疫機能と
人間はもともと生きる上での免疫という機能があります。病気などの予防のためには、必要な機能だが、免疫機能に異常が出てしまうと発症する病気があります。円形脱毛症は、免疫の異常が発生し、脱毛の症状が起こることになっています。しかし、円形脱毛症の原因は特定されていないのが現状です。あくまで一説に思われます。これで私もいい歳になってきました。最近、鏡を見ては、白髪がちらほら出てきました。最初はピンセットで抜いていたのですが、今では、白髪の量も増えてきてので、白髪染めが必要かもしれません。白髪染めにもいろいろな種類があるものとし、薬局には多くの白髪染めが売られているようです。
時として、2つのニュースは実は関係があったとわかることがある。ウォール街のデモ参加者と、スティーブ・ジョブズ氏への並外れた追悼がそうだ。
ジョブズ氏は普通の億万長者とは違う。ウォール街の冷淡な金持ちとは異なり、彼は「社会に貢献していた」と一部のデモ参加者は称賛する。また、デモ参加者は、何よりもまず、自分達を無力だと感じている。大銀行を前にして、彼らは個々の人間に過ぎない。アップル創業者に対する追悼がこれほどまでに強烈なのは、おそらく、ジョブズ氏が各個人に「力」を与えたからにほかならない。自分のパソコンよりも力強い武器を探すことは難しい。
ジョブズ氏のような人物はすぐには現れないという、より一般的な疑念も、彼を失った悲しみを色濃くしている。彼は1970年代後半、1980年代、1990年代の時代の申し子だった。それは単にジョブズ氏だけではない。そこにはジョブズ氏をはじめとするベンチャーキャピタルの資本の受け手の活躍があった。アメリカ人は、ジョブズ氏が享受したチャンスの再来がもうないのではないか、と恐れている。
このため、その時代に起きたことを振り返り、どのような政策変更がベンチャーキャピタルから資金を受けた革新的企業に影響を与えたかについて見つめ直すことは意義がある。
その時代の始まりは良いものではなかった。1970年代半ばは、救いようのない時期だった。そして突如、1977年から78年にかけて、ベンチャーキャピタル向けの民間資本が約15倍(3900万ドルから5億7000万ドル)に急増した。
1977年当時、純資産が500万ドル未満の企業の株式公開額はわずか7500万ドルだった。1980年までにはこの数字は8億2200万ドルとなった、と経済予測機関チェース・エコノメトリックスの創設者、マイケル・エヴァンズ氏は指摘する。ベンチャーキャピタル・ブームはその後も続き、コンピューティングやバイオテクノロジーなどのハイテクやその他多くの業種を支えた。
やがて「ジョブズ氏経済(Jobs Economy)」とでも呼ぶべきものは、「雇用経済(jobs economy)」に発展した。アップルなどの革新的企業は、シリコンバレーの地域全体の雇用を生み出した。また、パソコンを生み出すことによって、米国の生活水準の向上をもたらし、経済全般の生産性も向上した。
しかし、この発展の原因は何だったのか。それは3つの政策変更である。最初の政策変更は、本紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)も推進した減税だった。
1960年代後半、議会はキャピタルゲイン税を49%に引き上げていた。この引き上げの背景には、キャピタルゲインを稼ぐのは主に富裕層であることから、富裕層が社会福祉制度のより大きい部分を負担すべき、という「ウォーレン・バフェット流」の一般的な認識があった。しかし、ベンチャーキャピタルの資金は1977‐78年までに枯渇しており、カーター政権はキャピタルゲインへの高い税率に疑問を抱いていた。
まもなく減税を求める声が強まっていき、この考えは、40歳のウィリアム・スタイガー下院議員によって推進された。タイム誌は彼を「やり手の青年会議所会頭さながらのスタイルを持つ、ベビーフェイスのウィスコンシン州選出共和党議員」と紹介している。タイムは、スタイガー議員のキャピタルゲイン減税案について、「年収10万ドル以上の層(当時は富裕層)が恩恵を被る措置」だと読者に警鐘を鳴らした。
しかし、スタイガー議員の法案は多くの支持を集め、彼は、キャピタルゲイン税率を実質25%と、半分に引き下げる「スタイガー修正条項」を議会で通過させることに成功した。
この結果、称賛に値しない一部のウォール街の億万長者を含め、多くの富裕層がより多くの金を稼いだことは確かだ。しかし、彼らは、アップルのような企業にも投資した。富裕層の減税に伴い、連邦政府はより多くの歳入、つまり、社会保障制度に向けて予想を上回る財源を得た。
2つ目の政策変更は年金法である。1974年、従業員退職所得保障法(通称エリサ法)は、アップルのようなリスクのあるプロジェクトに投資することは、受託者義務を怠る可能性があると投資家に警告することによって、プルーデントマン・ルールを成文化した。これに伴い、年金基金とポートフォリオ運用者はリスク資産への投資を控えた。これを変えたのは、ジョシュ・ラーナー氏とポール・アラン・ゴンパース氏が『The Money of Invention』で指摘したように、1970年代末のこの定義の緩和である。年金基金は、新興企業に投資しても義務を遂行していると再び顧客に報告できるようになった。年金ファンドは、ベンチャーキャピタルへの投資を増やし始めた。
第3の変更は、1980年に成立した法律で、ベンチャーキャピタル・ブームの継続を確かなものにした。バーチ・バイ(インディアナ州選出)とボブ・ドール(カンザス州)の2人の上院議員の提案によるこの法律は、曖昧な知的財産権の所在を明確にした。このことで大学と教授達は、自らがアイデアを保有し、そのアイデアが売れることを知った。これは、教授と研究チームにとって、彼らの頭の中や研究室に眠っている数々のアイデアを商業用に開発する強力なインセンティブとして働いた。
これら3つの政策変更によるアドバンテージに加え、もうひとつのアドバンテージがあるかもしれない。「逆境」というアドバンテージだ。1970年代で言えば、景気の低迷と期待の低下だ。当時、新たなテクノロジー(通話相手の顔がみえる電話やコンピューターネットワークの結合など)は、かなり以前から考案されていたものの、大学のオフィスや博物館の展示ケースの中に放置されたままだった。
今、こうした新たなテクノロジーへの需要は、過去と同様、高まり、膨らんでいる。それは、ジョブズ氏のような人物が新製品を投入すれば、彼の市場は「自称ガジェット好き」の世代――新たなテクノロジーを楽しみ、新たなアプリを見つけることに喜びを感じる人々――で溢れ返る、ということを意味していた。
意外にも、WSJの編集者は1980年、「パーソナル・コンピューターが多くの投資家により役立つようになる」と書いていた。今日、そういった政策変更が成長を生む可能性は、有り得ないことではない。税金についての1970年代の教訓は、資本への課税は常に低く、それも大幅に低くするべきというものだ。金持ちの減税は、そうでない国民に貢献することが可能なのだ。
第2の教訓は、法律や規則の修正、解釈、施行の際には、政権の選択が重要であるということだ。ドッド・フランク法(金融規制改革法)やサーベンス・オクスレー法(米企業改革法)は、今日のエリサ法に等しい。こうした規則のわずかな明確化が、国内総生産(GDP)全般に影響をもたらす。第3の教訓とは、財産権の重要性だ。今日のバイ・ドール法は、特許権の改革であるべきだ。
最後になるが、我々の今の逆境のなかにも希望の光はある。最近、さえない経済状況が続くが、それでも誰かの利益となっている。その誰かとは、若いイノベーター達である。相も変わらず需要は再び高まっている。経済が自信を取り戻すや否や、彼らは前に飛び出し、かつてのPCブームの2015年版を作るだろう。
(シュレーズ氏は、今週、ジョージ・W・ブッシュ・インスティテュートに経済成長プロジェクトのディレクターとして参加した。近く『Coolidge』がハーパー・コリンズ社から発刊される)
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